長崎旅行
【浦上天主堂】

長崎旅行【平和記念像】

『平和記念像』の次に訪れたのは、浦上天主堂。
『平和記念像』は小高いところにあるので、浦上天主堂を見下ろすことができます。
カトリック浦上教会(浦上天主堂)
浦上天主堂は、1873年に、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって建設が計画されました。
1895年に着工、1914年に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。
残念ながらそれから20年後、1945年に原爆投下によって破壊されました。
1959年に今の建物が鉄筋コンクリーで再建されたそうです。

浦上天主堂の中に入ると椅子の置かれている場所までロープが張られており奥まで進むことはできませんでした。
神聖な場。しょうがありませんよね。
ただ、ステントグラスからかすかに日が差して『大浦天主堂』と同じく厳かな感じとともに身が清められる感じがしました。

入って左側には『被爆のマリア』の小聖堂があります。
絶対に拝観したいと思っていたのに、最初、気づかず出てしまったのですが、旦那に聞いてもう一度入り直ししました💦
被爆する前のマリア像は高さ2mの木製で目は青いガラス。
水色の衣をまっとていたそうです。
(衣の色、私の好きな色です)
足元には天使たちがいました。

今は、首から下がなく、目も穴が開いているだけ。
天使たちもいません。
以前からなぜ目がないのか不思議でしたが、目はガラス玉で出来てると聞いて納得。
原爆の熱線で溶けてしまったんでしょうね…
それにしても、木で制作されたものだと聞いて驚きました。
あの熱風でよくぞ頭だけでも残されていたと。奇跡だと思います。
ところで、私の主観なのですが、『被爆のマリア』を写真などで見るといつも泣いているように感じてしまいます。
今回も実物を見てそう感じました。
焼け跡の黒い筋がそう見えるのか、それともマリアさまが本当に泣いているのか…

浦上カトリック教会(浦上天主堂)は、爆心地から500m。
原爆が落ちたときは、入口部分の壁を残し、すべて倒壊しました。
(『長崎原爆資料館』にレプリカが展示されています。)
また、主任司祭の西田三郎師と助任司祭の玉屋房吉師そして、数十人の信者達が即死しています。
長崎原爆資料館 浦上天主堂

2つあった鐘楼も爆風で倒壊しました。
破壊された鐘楼は80年たった今でも爆風で吹き飛ばされた場所にあります。

2つの鐘楼には、それぞれ鐘が吊るされていました。
南側の大きい方の『アンジェラスの鐘』は奇跡的にほぼそのままの形で地中から掘り出され今も南側の鐘楼で今も鳴り響いています。
(そういえば、以前、何かの映画かドラマで『アンジェラスの鐘』を掘り起こした場面があったなぁ。)
もう一つの鐘である小鐘は被爆により破壊されてしまいましたが、天主堂の隣にある「原爆遺物展示室」にて見ることができます。

小鐘には後日談があります。
80年間、北側の鐘楼には、鐘がなかったのですが、小鐘の話を聞いたアメリカのジェームズ・L・ノーラン・ジュニア教授が寄付を募り、復元され2025年に寄贈されました。
(ジェームズ・L・ノーラン・ジュニア教授のおじいさまは、マンハッタン計画に関わっていられた方だそうです。)
『希望の鐘カテリの鐘』と名付けられ、原爆投下80年の2025年8月9日11時2分に初めて鳴らされました。
信者達、地元の方々はもちろん、『アンジェラスの鐘』も80年振りに新しい相方が出来たと喜んでいることでしょう。
もしかして、「新人さん、これからよろしくな😊」って挨拶したかもしてませんね。
今は、朝6時、正午、夕方6時に2つの鐘が仲良くなりひびいて地元の方たちに時間を伝えていることでしょう。

浦上天主堂には、その他にも今でも80年前の遺構が数点残されています。

爆風によって頭がない石像です。
三体の像は、熱線によって焼きだたれています。
右が聖セシリア、中央がキリスト、左が誰かわからないそうです。

長崎旅行【長崎原爆資料館】

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